2013年4月30日火曜日

430 老子も勧める先祖供養

老子の五十四章にこうあります。

「善建者不抜、善抱者不脱。子孫以祭祀不輟。
修之於身、其徳乃眞。修之於家、其徳乃餘。
修之於郷、其徳乃長。修之於邦、其徳乃豐。
修之於天下、其徳乃普。
故以身觀身、以家觀家、以郷觀郷、以邦觀邦、以天下觀天下。
吾何以知天下然哉。以此。」

<訳>
( しっかり打ちこまれているものは引き抜かれることはなく、固くかかえられているものはすべり落ちることはない。(このようにすれば)(祖先を)祭ることで、子孫代々とだえないであろう。

(そのやり方で)ひとりの身において(完全に)修めれば、(「道」の)徳(めぐみ)(その効果)はまちがいなくあらわれ、一家族において修めれば、その徳はあり余るほどであり、一つの村において修めれば、その徳は永続するし、一国において修めれば、その徳は大きくさかんであり、天下において修めれば、その徳はひろくゆきわたるであろう。

それゆえに、あるひとりの身については、その人の身(の修め方)によって(どこまでも)見てとれるし、ある一家については、その家族(の修め方)によって見てとれ、一つの村については、その村(における修め方)によって見てとれ、一つの国については、その国(における修め方)によって見てとれ、天下全体については、天下(における修め方)によって見てとれるのである。

私は何によって天下がそのようにあると知るか。このこと(以上のこと)によってである。)

(『老子』小川環樹訳注 第五十四章 123~125頁)

〜〜〜
秋山先生に先祖供養ってどですか?と尋ねると、、、

「老子が勧めるからどうの、というものではないがな、自分一人で生きとるなんて考えるとはな、不遜というものだな。先祖からの流れがあって、今の自分に繋がっとるわけだからな。

いまのひとたちはな、ご先祖様からの脈々たる歴史の流れを縦線として、それから、同じ時代に生きとる人たち、すなわち、社会を横線とした、織物の如く、自分が在る、ということを、まるで忘れてしまっておるようだな。

先祖供養はな、ご先祖様から今が在ることをな、思いださせてくれるしな、自分の家族、一族のことに思いを馳せる時間でもあるのじゃないかな。」


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